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古代のたたら製鉄跡地について

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春日井・小牧・多治見地区の朝日射す夕日輝く黄金伝説の残る地・産鉄に関わる地名・字名の残る地について

1.はじめに
最近、春日井・小牧市境に、古代のたたら製鉄跡地の存在を知りえた。残念な事に、小牧市の古代の製鉄跡地は、開発の波に飲まれ、消失してしまったという。
こうした たたら製鉄に関わる地域には、朝日射す夕日輝く黄金伝説地が、あるという。この黄金は、いわゆるゴールドではなく、鉄に因む粉金(こがね、砂鉄)に関わるのではという説を出されている方もあります。
郷土誌かすがい 46号 「春日井の黄金伝説」を記述されております小木曽正明氏であります。 この黄金伝説の長者は、「炭焼き長者」か「朝日長者」が、双璧とか。柳田国男氏は、かって「炭焼き小五郎の事」で、この炭焼きは、単なる炭焼きではなく、金工・冶金鋳物に携わった人々=「金屋」の徒(いわゆる非農耕民たる産鉄民)であったのではという指摘をされているようです。( 定本柳田国男集 第1巻 昭和38年 参照 )

2.黄金伝説の伝わる地域について
A.春日井・小牧地域
春日井・小牧地域に残る黄金伝説が存在する地域は、小木曽氏によれば、標高80mラインとか。このラインは、かって地層形成された瀬戸層群矢田川累層であるという。太古 古東海湖へ流れ込んでいた古木曾川が運んだ堆積層でありましょう。
こうした地層には、砂鉄を豊富に含む砂鉄層が存在していたようであります。
黄金伝説の存在があるのかは知りませんが、聞き取り内容で、「現 高蔵寺中学校の裏の崖でも、かって砂鉄層が露出していて簡単に砂鉄を集める事ができたという。
また、高蔵寺ニュータウン内 高森山から県立高蔵寺高校にかけては、渇鉄鉱(別名 鬼板層)の露頭が存在し、高森山では、狸掘りで堀り出したとか。高蔵寺高校の土地造成時には、鬼板が出たという。」ここも黄金伝説が残る地域ではないようですが、白山円福寺近くには、白山神社があり、この神社裏手の丘陵に「かねば」と呼ばれる砂鉄が豊富に取れる場所があり、かってこの地には、「椎の木池」と呼ぶ雨池があり、繁田川の源流に当たるとか。この丘陵地の下は、湿田になっており、「金子木(かねのき)」という字名であったという。そして、この繁田川の下流域は、気墳町(かっては、いぶきと呼ばれていたとか。)にあたるという。(これも聞き取りであります。)
こうした砂鉄を豊富に含む地層のある地域には、地名・字名に鉄に関する名が付いているという。
例えば、白山円福寺寄進帳(中世)には、現 春日井市庄名町に当たる所に「鍛冶屋敷」があったとか。現 春日井市出川町には、「金ヶ口(かねがくち)」があり、、この地名は、以前亜炭について記述した拙稿にも出てきていましたが、「キンケロ」と読んでいました。現 春日井市西尾町には、字名で「鋳物師洞」(ここは、マンガン鉱が稼動していたとか。日吉神社近くであり、この日吉神社は、内津の旧 妙見様かと記述されているようです。)がある。更に、松本・神明町には、「金地蔵」があるという。
こうした地域は、全て下街道沿いでありました。下街道からはやや離れますが、高座山(中央線高蔵寺駅東側)の麓には、五社大明神社が鎮座しております。この祭神は、天目一箇神(別名 デイダラボッチとも言うようです。)で、金物・製鉄神であるという。何やら、製鉄に関わる者達が住んでいたのでしょうか。
近世前までは、現 犬山市羽黒では、羽黒金屋があり、梵鐘を造っていたとか。この羽黒が衰退する頃、春日井市上野には、近世以降 尾張一帯の鋳物師を統括した 上野郷の太郎左衛門範家の故地が在ったのではとも言われておるようであります。本来は、名古屋市の鍋屋上野かと言われておりますが、これだけ、鉄に関する地名、字名、挙句は黄金伝説まで、付随する地域を、近世の鋳物師を統括した上野太郎左衛門の故地とするのも故あろうと推察しますし、事実は、そのようであろうかと・・・。
マイホームタウン 守山なるHPがあります。その近世のページに、「尾張・守山の鋳物師」という項目があります。
そこには、「永禄5年(1562)織田信長より判物(朱印状)を拝領し尾張の鋳物師を傘下にした水野太郎左衛門家が、生活物資から武具製造、梵鐘等寺社御用、藩への貢納業務の代行と原料の搬入から製作、販売、鋳物師の移動等生活まで、藩外での一部製作を除き全てを統括していました。
水野家の祖は春日井郡上野村、上野金屋鋳物師集団であろうと思われ、後名古屋城築城と共に清洲から移住、上野村(現名古屋市千種区鍋屋上野)に居住。また鋳物師加藤忠右エ門の祖は、号を「守山」(しゅざん)としておりました。」という事を記述されています。この事を裏付けるように、白山円福寺寄進帳(中世)には、現 春日井市庄名町に当たる所に「鍛冶屋敷」があったという記述もあるようです。

B.多治見地域
多治見図書館内 郷土資料室に所蔵されております「聞き取り」を書かれた佐々木英夫氏によれば、多治見地域にも黄金伝説の残る地域があるという。
それは、聞き取りであり、「かって小泉町2丁目辺りに だいぜん寺があり、この寺が消失した後に言い伝えられた黄金伝説であり、やはり朝日射す夕日輝くという言い出しであるようです。聞き取った場所は、はっきりしませんが、多分小泉駅の辺りから日成陶器工場のあたりかと。」 と記述されておりました。
もう一つは、根本村の西方に城山(山頂に城跡があるとか。)があり、この辺りの言い伝えで、やはり黄金伝説でありましょうか。
朝日照る夕日輝く くすの木の元云々とか、朝日かがやく夕日おう云々とも歌われる黄金伝説が残っていたという聞き取りでありました。
* 以上の黄金伝説も、ゴールドの事ではなく、もしかすると、鉄に関わる事柄でありましょうか。
もう一つは、黄金伝説地ではありませんが、大原地区の事で、大沢・高根山では、昭和の始め頃にマンガンを掘り出す鉱山があって、採掘されていたとか。当然 鉄分を含んだ地層も存在していたと思われます。
なにせ、この辺りも太古の時代は、古東海湖の湖底であったでしょうから。地層形成は、春日井・小牧と似通っていても不思議な事ではないのでしょう。

参考文献
拙文中に記載しておりますので、省略いたします。

TEL 090-5114-9835

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